後藤 栖子遺作展   
  平成20年6月19日(木)〜6月29日(日)
 
  午前10時30分〜午後6時30分 火曜定休  
 
1941年


60〜78年

79年〜
2008年
山形に生まれる
幼年より父 後藤紀一(日本画家・芥川賞作家)より絵画の指導を受ける
秋田の劇団わらび座座員として宣伝・編集の仕事に携わる
山形・東京・神戸などで個展多数
1月逝去 享年66歳
 
永遠の探究者 後藤栖子先生を偲び
後藤栖子先生が昇天された。今頃は天国で大好きであり、大嫌いであった父・紀一画伯に、「親父、ここはどういう色を使えば良いの」と相談しているのではないだろうか。栖子先生は昭和十六年、紀一次女として山辺町に生まれた。第二次世界大戦中と戦後の混乱期を山辺町で過ごし、山辺小学校に二年生まで在学した。当時の生活は父の芸術家一筋の生き方により苦労されたようである。高校時代の昭和三十三年に県展に出品し、東山魁夷審査員の審査を受け「父・娘同時受賞」し、話題を集めている。祖父・華平、父・紀一と栖子先生の三代の流れである。当資料館で「後藤家三代展」を開催した時に祖父・華平の絵をじっと見つめられ、「お祖父ちゃんは絵がうまかったんだね」と漏らされた言葉がいまさらのようである。
  後藤
生涯の恵方道
栖子さんへ贈った拙著の中の二つの小文(前衛運動に加わって命を落とした二人の運命を描いた文)に彼女は目をつけ、それに己の運命を重ねて次のような感想を頂いた。「私はいわゆる前衛党の中で、生きながら殺されてしまう恐怖を感じて脱出した人間です」と。その脱集団により離婚、帰郷となるが、この心の痛手と相まってガンにとりつかれ、二十代半ばから終生ガンとの凄惨な闘いが続く。何のために生きるのかと自問しながら、この逆運を尻目に置き「自分らしい生き方」を造り出すしかないと悟る。そのとき、画家としての後藤家三代の血脈が奮いたってきたと思う。そこに私は栖子の心の強さを感じる。その通り。いま遺作をみつめて感じsるのは逆境に耐えてきた画家の作品と思えない安らぎだった。馥郁とした明るさ、そこから童話の語り口がほのぼのと息づいてきて心がなごむ。この画道こそ彼女が切り拓いた「生涯の恵方道」であった。
                                 安達 徹

展示作品 artwork
『木立』 岩絵の具 3号
ヨーロッパを訪れた際に取材したものを元に描いています
 
展示作品 artwork
 
『蔵王秋景』
『月下美人』
 
 
 
『黄色い花』  水彩
 
     
  展示風景  
 
 
 
会場風景
 
   
 
初日会場風景
 
     
 
 
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